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評論家やコンサルタントの言説は、あっという間に180度変わります!騙されないように“トリックスター”“デマゴーグ”位に考えていた方が良いですね!

<他人のせいにする韓国 反転できる要素見当たらぬと大前研一>   ※SAPIO2017年5月号  2017.5.1 17:24
 韓国経済はかつて、「日本を追い抜く」「世界を牽引する」と喧伝された。それが今、苦境に喘いでいる。なぜ韓国は、経済の面で先進国になりきれないのか? 大前研一氏が解説する。
* * *
 一般的に1人あたりGDPが2万ドルを超えると中進国、3万ドルを超えると先進国とされる。だが、3万ドル経済に向かおうとする中進国は、しばしば為替や労働コストが高くなって競争力を失い、3万ドルに近づくと落ちるという動きを繰り返す。これが「中進国のジレンマ」だ。
 韓国経済も、調子が良くなるとウォンや労働コストが高くなり、そのたびに競争力を失って落ちるという悪循環に陥っている。韓国が「中進国のジレンマ」から抜け出せない最大の理由は、イノベーションがないことだ。
 では今後、韓国は何らかのイノベーションによって「中進国のジレンマ」から抜け出せる日が来るのだろうか?
 残念ながら、当面は難しいだろう。なぜなら、戦後日本は財閥解体で従来の秩序が崩壊して経済にダイナミズムが生まれたが、韓国は未だに財閥支配で縦方向の秩序が固まっているからだ。
その秩序を壊してイノベーションを起こすためには、松下幸之助氏や本田宗一郎氏のような学歴がなくてもアンビション(野望)のある起業家が必要となる。
 しかし、韓国は極端な学歴社会だから、アンビションを持っている人でも、いったん受験戦争に負けたら這い上がることが難しい。つまり、イノベーションが起こりにくい硬直した社会構造なのである。
 また、受験戦争に勝って財閥企業に入った人たちも、ファミリー企業なので出世に「ガラスの天井」があるし、近年は45歳くらいでリストラされるケースも多く、すんなり定年までエリートの道を歩むことが難しくなってモチベーションが低下している。どこをどう切っても、反転できる要素が見当たらないのだ。
 韓国の根本的な問題も指摘しておかねばならない。それは自分たちの問題を何でもかんでも日本のせいにする、ということだ。日本が高度成長した時に我々は朝鮮戦争で発展が遅れてしまった。その原因は日本の植民地支配だ。そういう“エクスキューズ(言い訳)文化”だから、自分たちも努力すれば日本に追いつき、追い越すことができるという発想が生まれにくい。ここが同じく日本の植民地だった台湾との大きな違いである。
台湾の場合は“ノーエクスキューズ文化”である。私は韓国にも台湾にも200回以上行っているが、台湾で日本の植民地支配のせいで発展が遅れた、などと言う人には会ったことがない。それどころか、台湾の人たちの大半は、日本のおかげでここまで成長できた、と感謝している。
 そういう姿勢で素直に日本に学んできたから、サムスンをはじめとする韓国企業が壁にぶち当たって突破できないでいる一方で、鴻海精密工業や半導体受託生産企業のTSMC(台湾積体電路製造)、「格安スマホの仕掛け人」と言われる半導体メーカーのメディアテックといった台湾企業はますます世界を目指して成長し、新しい企業も続々と誕生している。
 韓国は日本をエクスキューズに使っている限り、前に進めないと思う。自分の中に成長できない理由を見つけ、それを乗り越える努力をしなければ、「中進国のジレンマ」から抜け出して先進国になることはできない、と思い知るべきである。
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ぼへー 安愚楽牧場の和牛預託商法を広告塔かのように薦めていた海江田万里氏に比べれば、可愛らしいものですが・・・
この人の言説の移り変わりも相当なものですね。
「これからは韓国型経営の時代・・・」といった主張をされていた時代が懐かしいですね。
 評論家やコンサルタントなどは、その時々に応じて辻褄合わせな言説を滔々と振り撒くことを生業にしている訳ですから、このようなことは日常茶飯事とはいうものの・・・あまりにも変節が激しすぎる!
当然の結果に過ぎ無いと言えます。
批判するには当たらないのかもしれません・・・
結局受け手側の問題です。
どんなに著名な評論家・コンサルタントであろうが、その本質は同じですから、このような者の言説を受け取る側もそのようなモノと思って認識しておかないといけません。
間違っても~
「著名な先生が薦めているから・・・」
「有名なコンサル企業の言う事だから・・・」
~などと熟慮もせずにお金を使うなどということは、くれぐれもしない様にしましょう。
その言説の信頼性は、芸能レポーターや占い師などとあまり変わりませんから、芸能ゴシップや占いを楽しむ位の気持ちでいることが肝要です。
 

ぼへー どう考えても「リスクゼロ」ではない金融商品を「リスクゼロ」と断言して推奨しても・・・「無罪」
 こんなものです。著名な経済評論家の言説でも、実際には日本の裁判では歯牙にもかけてくれません。
 言うならば、東スポの記事を信じてはいけないのと同じレベルだと思っておいた方が良いというコト!
 「著名な方を信じて・・・」と悔やんで、裁判しようが「そんな間抜けの言う事信じたあなたがバカ・・・」とにべも無く、訴訟費用が無駄になるだけです。
       ↓
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<「安愚楽牧場」巡る訴訟,海江田氏が勝訴>       読売新聞 2016年 9月9日
 2011年に破綻した「安愚楽(あぐら)牧場」の和牛オーナー制度に出資して損失を被ったのは,海江田万里・元民主党代表(67)が経済評論家時代に書いた同牧場の宣伝記事を信じたためだとして,全国の出資者30人が海江田氏に計約5億7360万円の損害賠償を求めた訴訟で,東京地裁(谷口園恵裁判長)は9日,請求を棄却する判決を言い渡した。
 原告側は控訴する方針。
 判決は,海江田氏が「牧場のリスクはゼロ」などの記事を著書や雑誌に執筆した1986~92年頃は「和牛オーナー制度が特筆すべきリスクをはらんでいたとは認められない」と指摘。「海江田氏が一般消費者に不適切な情報を伝えて,投資判断を誤らせたとはいえない」と判断した。
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ぼへー インターネット時代では、過去の言説がデータとして残ってしまうので、評論家・コンサルタントにとっては、恥ずかしい時代になりました。その時その時に、適当な言説で金儲けするのが生業なのでしょうがないとは言うものの・・・たった4ヶ月で手の平返しでは、赤面ものですね。
       ↓
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[東洋経済:「勝ち組」日立・東芝と「負け組」ソニーを分析 進む家電の2極化、負け組に明日はあるか](2014/12)
     ↓ たった4ヶ月で“負け組”から“復活”という言説に!
[東洋経済:崖っぷちのシャープと復活のソニーを分析 2社はなぜここまで明暗が分かれたのか](2015/4)
小宮 一慶こみや かずよし
経営コンサルタント。(株)小宮コンサルタンツ代表。大企業から中小企業まで、企業規模や業種を問わず、幅広く経営コンサルティング活動を行う一方、年百 回以上の講演を行う。新聞・雑誌の執筆、テレビ出演も行う。著書に『朝90分早く起きる人のプロの仕事術』(PHP研究所)、 『「1秒!」で財務諸表を 読む方法』(小社刊)、『ビジネスマンのための「発見力」養成講座 』(ディスカヴァー携書)、『ビジネスマンのための「数字力」養成講座 』(同)など。経営・会計・経済・ビジネススキル等をテーマにした著書は、90冊に迫る。
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「宗教」というのは人間心理の機微に通じた「統治機構」であった件② 

ぼへー
 人類が農耕・牧畜を行える段階になり、豊かになるにつれ、当然煩悩にまみれた人間ですから、ひずみが生まれます。
貧富の差が生まれ、支配や搾取、豊かで暇を持て余す層の堕落・退廃といった問題が生まれてくるようになりました。
余裕の出来てきた人間社会を何もせずに放っておくと、良きにせよ悪しきにせよ「ソドムとゴモラ」状態になるのは宿命ともいえるでしょう。
そこで、登場するのが「宗教」です。前回に続き~
<「宗教」は人間心理の機微に通じた統治機構である点② →社会の不安定要素「持たざる男性」への上手な対処>
 社会を安定して統治しようとするときに、一番の“不安定”要素は何でしょうか?
それは、リビドーに支配される「男性」の「暴力性・犯罪性」といえるでしょう。
社会を安定して統治しようとするときに、中でも注意を要するのは「社会に不満を持つ男性」の存在です。
「社会に不満を持つ男性」が、いつの時代でも(大昔でも現代でも)普遍的に“社会のかく乱要因”であることに異論はないでしょう。
この問題について、現代社会でも、上手な対処ができているとは全く言えません。
(現在の刑法犯の収監者の男女比が10:1であることをみても、全く酷い有様で、男性の「暴力性・犯罪性」に歯止めがきかず、自由に発露されてしまっているとさえいえるでしょう。)
 まだ「宗教」を「統治機構」として活用していた時代の方が、「社会に不満を持つ男性≒持たざる男性」への対処は、上手だったといえるでしょう。
<「統治機構としての宗教」における「男性優越」の本当の意味!>
3大宗教をはじめとする「統治機構」として創作された宗教の特徴として「男性優越」が挙げられます。
現代社会の持つ「人権」「男女平等」…etcといった価値観で見るとこのような宗教の「男性優遇」は、「男女差別!」ということになるのでしょうが・・・
当時の「統治機構」としてみると、本当に人間心理の機微に通じてよく考えられています。
そもそも「女性」に比し、社会の統治を不安定化させる「犯罪行動」に走りやすいのは、圧倒的に「男性」です。
その中でも特に「社会に不満を持つ男性」を、いかに処遇するかは、統治をする上での最優先課題といえます。
農耕・牧畜も始まり、豊かになってきた人間社会で、その地位や資産を引き継げる長男は良いとして・・・
それ以外の「持たざる男性をどうするのか?」は社会にとって「大問題」でした。
そのような男性を、何の対処もなしに放置することは、社会に「不安の種」を撒き散らすようなものだからです。
(女性は放っておいても、男性ほど犯罪侵さないですし、一夫多妻の時代には豊かな男性に扶養してもらえるので、社会的な措置は不要でした。)

 そこで「統治機構としての宗教」は、人間心理を突いた“素晴らしい解決策”を見せます。
まず、「女性」は不浄なので神に仕えることができるのは「男性である」といった教義を創りあげます。
それにより、世にあぶれる「持たざる男性」たちを「神に選ばれた者」として宗教施設で修行(という名の丁稚)してもらうことにします。
これで、何もしなければ社会の不満分子として野に放たれ、「犯罪や反社会活動」に加担しがちな「持たざる男性」の数をかなり減少させることに成功しました。
(不満分子を減らせるだけでなく・・・一朝有事には兵力としての意味もありました。)

 男性というものは、単純なので「褒めてあげれる」「活躍の場を与える」ことで、快く働くものです。
「持たざる男性」たちに~
「神に選ばれし“男性”だからこそできる・・・」
「神に仕えるという名誉・・・」
~といってプライドを満たし、おだてつつ、宗教施設の維持に勤しませる。
名誉と引き換えに、宗教施設に閉じ込め、厳しい戒律を課せられ、世俗的な享楽(姦淫・贅沢・飽食…etc)といったことから「持たざる男性」を遠ざけるて、現実的に社会の安寧を図る。
ただ、やみ雲に統治の名の下に強制するのとは雲泥の差!
なんと人間心理の機微に通じたスマートな「統治機構」であったことか!

<社会の安定・安全のための「統治機構としての宗教」>
 「統治機構としての宗教」は、「持たざる男性」による社会の不安定化を「男性優位な教義」によって防ごうとしましたが・・・
多くの 「統治機構としての宗教」は、「全能の絶対神」の名のもとに~
・姦淫の禁止
・暴力の否定
・殺生の禁止
・肉食(特に大型哺乳類)の禁止
~等々非常に事細かく生活指導のような教義を説き、ぶっとい聖典化しています。
これらは、信者にとっては教義であると同時に・・・
実践されることによって、すべて社会の不安定化・不平等化を減じる方向に作用し、「統治」に直接役立つものとなっているのです。
悪く言えば、「アレしちゃいけない」「コレしちゃいけない」といろいろ書いてある生徒手帳みたいな存在です。
(生徒手帳があれば、学校の運営には役に立ちますよね。)
このような教義があることも「統治機構としての宗教」の特色です。
牧歌的な多神教・伝承神話的な土着宗教では、こんな生徒手帳みたいな教義は有りません。
もっと鷹揚なおとぎ話のような神話として神様について語られるだけです。

<「統治機構としての宗教」の限界>
 ことほど左様に、人類は豊かになるにつれて起こってくる社会問題を「統治機構としての宗教」を上手に利用することで、社会の安定・安寧化を図ろうとしてきました。
しかし、時代が進み、移動手段の進歩に伴い人類はその居住地域以外の地域へと大きく移動することが当たり前になりました。
こうなると「統治機構としての宗教」の限界が表出してくるようになりました。
一国・一地方を遍く一つの宗教で統治していた時代には、利点であった「絶対万能の存在」は、一国・一地方でも「宗教」が混在してしまう時代においては・・・
逆に「絶対」に相いれない「対立」の要因となり、「統治」のかく乱要因になってきてしまいました。
宗教戦争等を取り上げるまでもなく・・・
人類の知恵として創り出してきた「統治機構としての宗教」が、今となっては、逆に社会の安定化・安寧化を実現するための最大の脅威の一つとなっていることは、歴史の皮肉といえるでしょう。
そして、三大宗教をはじめとする「統治機構としての宗教」が社会の安定化・安寧化を実現するための最大の脅威の一つとなっていること自体が、信者の方には申し訳ありませんが・・・それぞれの「全知全能の神」など存在しないことを如実に示しています。
三大宗教をはじめとする「統治機構としての宗教」を信じることが、社会の不安定化・不安寧化を招き、人類の不幸を招く時代であることは認識しておきましょう。




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「宗教」というのは人間心理の機微に通じた「統治機構」であった件① 

ぼへー
 人類はその誕生以来、狩猟や採集することで生きている段階までは、おしなべて余裕はなく、みんな手分けをし、生きていくことで精一杯でした。
しかしながら、人類の進歩に伴い、農耕・牧畜を行える段階になると、人類の生活も「食うや食わず」の状態を脱し、余裕が生まれてくることになりました。
そして社会も変容し、原始共産制のような社会から → 貧富の差が生まれ、支配や搾取、豊かで暇を持て余す層の堕落・退廃といった社会問題が生まれてくるようになりました。
やはり、人間、余裕ができて暇と金を持て余すと・・・食欲・性欲・権力欲・金銭欲に囚われ、退廃・荒廃した社会が醸成されてきます。
余裕の出てきた人間社会は何もせずに放っておくと、良きにせよ悪しきにせよ「ソドムとゴモラ」状態になってしまうのは人間の悲しい宿命ともいえるでしょう。

 いつの世の「統治者」も、社会がそんな状態では困りますから、不埒な者達を捕まえて留置したり奴隷にしたり、重罪にしてみたりして社会の安定を図ろうとします。
しかし、所詮は「統治者」自身が、基本的に欲にまみれた輩ですから・・・そのような統治は長く続きません。
そこで、知恵を絞って考え出した答えが、統治機構としての「宗教」の活用です。
<「宗教」が良くできた統治機構であるということ>
 神様を本気で信じている皆様には悪いですが・・・
世界各地に多種多様な宗教が存在すること自体、「神が存在しない」ということの証左でもあります。
本当に絶対的な「神」が存在するなら、こんなに宗教が存在するはずありません・・・というか、その絶対的な神様の宗教ひとつしか存在しないはずだから!
 逆に言えば、統治機構として「宗教(神)」を創り上げざるを得なかったのです。
なぜなら、農耕・牧畜を始め、社会が豊かに余裕が生まれていくにつれて・・・
好むと好まざるとに関わらず、いずれどこかの段階で何もせずに放っておくと社会が「ソドムとゴモラ」的状況に陥る危機がやってきます。
そのような社会状況を、改善・回避するために、生み出されたのが「宗教」であると言えます。
人間心理を突いた良くできた「仕掛け」(統治機構)だと思います。
まさに、経験と伝統で積み上げてきた「人類の叡智」とも言えるでしょう。
さて、どんなところが人間心理を突いた良くできた「仕掛け」(統治機構)なのでしょうか?

<「宗教」は人間心理を突いた統治機構である点① →まず「唯一絶対の存在」を創り上げる!>
 人類がまだ貧しい狩猟・採集時代からある「土着的」な信仰は、牧歌的な多神教・伝承神話的な存在でした。
このような宗教こそ、真の(人間の本能的・根源的な)「宗教」といえるのでしょう。
しかしながら、今回取り上げる人類がある程度豊かになった段階(有史以降といっても良いかもしれません)創作した「統治機構」としての「宗教」の場合には、人間心理を突いた特徴があります。
その特徴の大事な一つは「唯一絶対の存在=神」を創設していることです。
3大宗教をはじめとする「統治機構としての宗教」は、指揮命令がハッキリするように分かり易く「唯一絶対の存在」を置かれているのが特徴的です。
牧歌的な多神教のままでは、「宗教」を統治機構として使うには都合が悪い。
指揮命令をハッキリさせる為にもピラミッドの頂点に君臨する「絶対的な存在」が必要でした。

<「宗教」は人間心理を突いた統治機構である点② →「教典」でしっかり明文化!>
 有史以降に「統治機構」として創作された「宗教」が、牧歌的な多神教・伝承神話的な土着宗教と一線を画する特徴があります。
それは神の教えを、「教典」のような形(.コーラン、聖書、教典…etc)で、いつでも誰でも分かり易く「明文化」していることです。
民衆にもスッキリ・ハッキリ、分かり易い!
これも「宗教」を統治機構として使うためには重要なことの一つです。
卑近な例でいえば、中学生や高校生に「校則」守らせるために「生徒手帳を持たせておくと良い」のと似たような感覚です。

【乱れた世の中・不埒な者共が起こらない・現れないようにするためには】
      ↓ 
・「統治者(人間)」レベルではない絶対・万能の「神様」を創り上げ、民衆に信じさせます。
      ↓ 
・民衆としても絶対万能の「神様の教え」ですから、従わないワケにはいきません。
      ↓
∴民衆にとっても「神様」を信じ、「神様の教え」に従っていれば「現世」はおろか「来世」の幸せも保証されるので、精神の安寧も得られ、安心して信じることができます・・・というか信じない訳にはいきません。
いずれにしても「Win-Win」の関係ですね!


~ 宗教というのは人間心理を突いた良くできた統治機構である件②へ続く ~





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日本の交通事故の実情を正しく知ろう!③

<プロローグ>あなたは、この惨憺たる日本の道路の現実をご存じだろうか?

ぼへー ※他国と比べ恥ずかしくなる 「絶望的に狭い高速道路!」
        ⇓



ぼへー ※大型車が楽にすれ違える国道は25%しかありません!
        ⇓

       

ぼへー ※ほとんどの生活道路にいたっては、乗用車のすれ違いすら困難!
        ⇓



ぼへー ※絶望的に狭い道路に立ったままの電柱!
        ⇓



ぼへー ※他国と比べトンデモ無く狭い道路の引き起こす悲劇 → 歩行者・自転車の交通事故死亡率の異常な高さ!
       ⇓


                   
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<本編:日本の交通事故の実情を正しく知ろう!③>
ぼへー 今回がこのシリーズの最終回なので、「3ナンバー規制撤廃」という戦後の道路交通政策“最大の改正(改悪)”が、日本の交通事故状況に与えた影響を、もう少し詳細に見ておきましょう。

★「3ナンバー規制撤廃」前後10年の自動車保有の推移
 「3ナンバー規制撤廃」という戦後の道路交通政策“最大”の改正(改悪)により、その前後10年間の自動車の保有状況は、“劇的に”変化しました。
   


※3ナンバー規制撤廃以後、普通車(3ナンバー)が激増、構成比もたった10年で25%にまで・・・!
 (その後も増え続け、現在では30%近いですが…)
   
kouseisuii.gif

★「3ナンバー規制撤廃」前後10年の交通事故発生数の推移
 「3ナンバー規制撤廃」という戦後の道路交通政策“最大”の改正(改悪)により、交通事故の発生状況も大きく変りました。
   



    
ぼへーグラフにすれば、一目瞭然です!
3ナンバー規制撤廃前の10年間(1981年~1990年)では、乗用車保有台数と交通事故の発生数の増加率は、ほぼ一致していました。
「自動車の台数が、増えた分だけ、交通事故も増加した。」ということで・・・(本来自動車台数の増加率より交通事故の増加率の方が下回りたいところですが、)まあ致し方ないでしょう。
 しかしながら、「3ナンバー規制撤廃」という戦後の道路交通政策“最大”の改正(改悪)後の10年間(1990年~1999年)では様変わりし、乗用車保有台数の増加率と交通事故の発生数の増加率は、年々大きく乖離していきます。
つまり、「自動車の保有台数の増加率をはるかに超えて、交通事故の発生数が増加している。」ということで、危険で異常な状態です。
(その主因は、「3ナンバー車の比率がドンドン増加したこと」にあることは、これほどの交通事故件数の増加を促すような大きな道路交通施策の変更は「3ナンバー規制撤廃」以外無なかったことを考え合わせれば、明らかでしょう。)

<3ナンバー車が「危険でない」とかいうおバカさんには近寄らないこと!>
 このシリーズで説明してきたように、非常に貧弱な日本の道路インフラ整備状況で、3ナンバー規制を撤廃すれば、こうなることは当然の帰結でした。
なにせ、先進国とは思えないほど、異常に幅員が狭く、“人車分離”もままならない日本の道路に、(非常に恵まれた道路インフラを前提とした)北米仕様の3ナンバー乗用車を増加させ続けたワケですから。
巷には~
「3ナンバー車でも俺は運転上手いから大丈夫・・・」
「車の大きさなんて、事故と関係ない・・・」
~といったことを滔々と自信満々に語る“おバカな”ドライバーが多数存在しますが・・・
日本の道路が以上に狭く、そもそも事故発生率が他の先進国より桁違いに多いことすら知らない生粋の“おバカさん”なので、近寄らない方が良いが良いでしょう。
“道路が異常なほど狭い”日本で3ナンバー車の様に「車幅が広く・車重も重い」車に乗る方には、事故率が高く、車重が重い分、事故を起こした時に“被害も大きくなる”こと位は、正しく認識して欲しいものです。

<結論:「3ナンバー規制撤廃」 →米国からの貿易摩擦解消の為に国民の生命・安全と引き換えにした「規制緩和」でした!>
 しかしながら、今振り返れば、「1989年というバブル絶頂期」にあり、まだまだ政治や行政は、硬直的・前例主義・事勿れ主義で、大きな変革など難しかった時代に、よくぞこれほど国民の生命・安全に(負の)影響がある政策を断行できたものです。
まあ、「大きな車の税金が安くなる…」「わーいシーマが買える…」…なんて喜んでいた国民も悪いんですが・・・
いくら日米貿易摩擦解消・スーパー301条回避という政治課題があったとはいえ・・・見事に「国民の安全」とトレードオフでした。
 このような悪政の負の影響の可能性を報道すべきマスコミが、最大の広告スポンサーである「自動車業界」の利益のために、全くこの政策についての負の側面を報道せず、国交省・警察側からのバラ色のプロパガンダを代弁し続けた責任は、非常に大きいと思いますね。
 マスコミがスポンサーを恐れず、報道機関としての立場を貫き、「3ナンバー規制撤廃」により、事故が増え、国民の生命・安全に悪影響が出る可能性に焦点を当て、報道を繰り広げていれば、国民の認識も変り、政策も多少なりとも緩和措置がとられたでしょうから…。

(コラム)部分最適と全体最適
 「3ナンバー規制の撤廃」について考えるとき、「部分最適は必ずしも全体最適でない。」ということを考えずにはいられません。
「同じ価格なら、見栄えの良い大きな車の方が・・・」
「幅100mmの違いなんて、俺は運転ウマイから影響ない!デカイ車がいい・・・」
「デカイ車の方が衝突時に安全・・・」
といって3ナンバー車を買うことは、「個人の車選び」としては、当然な面があり、そのレベルでは、部分最適かもしれません。
 しかし、その個人としての選択が、社会全体としてみれば、悪い結果をもたらしました。
5ナンバー枠一杯の車ですら、日本の道路インフラのレベルを考えれば、明らかにキャパオーバーであった所へ、車幅制限なしの巨大な北米仕様車の比率をドンドン増やしたわけですから・・・
交通事故件数・負傷者数は、自動車の増加率をはるかに超えて増加するという、明らかに、全体最適では無い状態となりました。

 結局、個人の消費行動など独善的なものですから、なかなか社会の全体最適に合わせた消費行動など取れません。
そこで、法律なり税制など、制度的に全体最適な状態に誘導することが必要です。
まさに「3ナンバー規制」が、そのようなものでした。
逆に言えば、「3ナンバー規制撤廃」とは、全体最適を保つ為の「安全弁」をぶち壊して取り去った愚策であったと結論付けられますね。 

 もし、今回「軽自動車規格を廃止」などという事になれば、同じ結果になるでしょう。
おそらく「軽規格を廃止」という事になれば、「それ以外の乗用車」の税率などが、その代替措置(不満解消)として下げるといった政策がとられるでしょう。
そうなると、大半の国民は「軽以外の車の維持費が安くなるなら・・・軽よりいいか!!大きい方が安全だよね!」といった考え方になってしまうでしょう・・・
しかし、もし「軽規格」を廃止すると、今までの軽自動車は、激減し、その分北米仕様の大きな車が増えますから、「3ナンバー規制撤」の時と同じく、交通事故は、大幅に増加する事は避けられないでしょう!
その事をマスコミ・国民が、しっかり認識し、「3ナンバー規制撤廃」の失敗を繰り返さないことが求められます。

(シリーズ 完)


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日本の交通事故の実情を正しく知ろう!②

<プロローグ>あなたは、この惨憺たる日本の道路の現実をご存じだろうか?

ぼへー ※他国と比べ恥ずかしくなる 「絶望的に狭い高速道路!」
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ぼへー ※大型車が楽にすれ違える国道は25%しかありません!
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ぼへー ※ほとんどの生活道路にいたっては、乗用車のすれ違いすら困難!
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ぼへー ※絶望的に狭い道路に立ったままの電柱!
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ぼへー ※他国と比べトンデモ無く狭い道路の引き起こす悲劇 → 歩行者・自転車の交通事故死亡率の異常な高さ!
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<本編:日本の交通事故の実情を正しく知ろう!②>
ぼへー 前回に引き続き、日本の先進国とは思えないような道路事情が惹き起こす交通事故の実情レポートです。  
日本の道路・交通行政が、いかに低レベルで破綻しているかは、警察・国土交通省が発表するマスコミ報道からは、見えてきません。
当然、警察・国土交通省は、自分たちに有利な「交通事故死者の減少」だけをクローズアップして喧伝します。
(道路・交通行政の担当として責任問題になりますから…)
そして、マスコミは、以下の理由により・・・警察・国土交通省の発表をそのまま垂れ流します。

※(マスコミが警察・国交省のプロパガンダを垂れ流す理由)
・そもそも記者の専門分野でもなく、自分の頭を使って、統計資料を読み込む力も意思もないので、公式発表をそのまま垂れ流しているだけ。
・警察や国交省の発表が、自分達に都合の良い情報だけのプロパガンダだと分かっていても・・・それは、「自動車業界」というマスコミにとって“最大の広告スポンサー様”にも不利益になる情報であり、マスコミはあえて、ご機嫌を損ねてまでこの問題を取り上げません。
  
 確かに「交通事故死者が減る」ことは、重要です。
しかし、本来、それは交通事故発生件数を減らすことと連動して、達成すべきものです。
つまり、死者と同時に「交通事故発生件数」・「負傷者数」が減ることが、非常に重要なのです。
自動車の安全装備・安全基準の強化によって、“自動車搭乗者の死亡者”だけを突出して減少させるだけでは、片手落ちというものです。

 警察・国土交通省の“大本営的”発表だけを聞いていると、ごくごく普通の国民は、「交通事故死者が減って」 → 「日本の道路は、安全だ・・・」 → 「日本の交通行政は、大成功・問題無し・・・」といったイメージを持ってしまうでしょう。
これこそ、役人の事勿れ主義・自己保身が際立つ、非常にいやらしい報道戦略です。

 そもそも「交通事故死者」というのは、技術的な要因で減少できる部分が大きいのです。
車両の安全性は、日進月歩で技術は進歩し、安全基準も強化されていくので、事故死者(自動車搭乗中)の減少に大きく貢献します。
また、救急医療体制や医療技術も、時が経つほど進歩しますので、交通事故による致死率は下がります。
そして、少子高齢化により、相対的に重大事故を起こす率の高い若年層が、激減する傾向にあることも、交通事故死者の減少に繋がります・・・。


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※図録交通事故件数・死者数の推移 /「社会実情データ図録」より

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ぼへー上図を見ていただければグラフを読める人なら一目瞭然、実際のところ大きく減っているのは“交通事故死者”だけなのです。
 逆に、貧弱な後進国的道路(歩道)環境の改善はしないまま、国民の安全のために戦後一貫して堅持してきた「3ナンバー規制」を撤廃するという戦後最大ともいえる失政(平成元年)以降…
→ それまで自動車保有台数の増加率と同レベル乃至それ以下でしか推移していなかった「交通事故件数」は、自動車保有台数の増加率を、はるかに超える増加率で増加します。

 ・・・もともと幅員が狭く、歩道も充実していない日本の道路に、北米仕様の巨大な車が増加するワケですから、事故が増えることは自明の理でした。
明らかに日米貿易摩擦解消の名の下に、米国の利益のために国民の安全を売り渡した「3ナンバー規制撤廃」の負の効果です。

 そして皮肉なことに、「3ナンバー規制が撤廃されたことによる車両の大型化」「安全装備・安全基準の強化」により「自動車乗車中の死者」だけは順調に減少しました。
交通事故死者の減少の7割方は、このブログで何度も取り上げている通り、「3ナンバー規制が緩和されたことによる車両の大型化」や「安全装備の充実」「安全基準の強化」による「自動車乗車中」の死者の減少によるものなのです。
グラフを見れば、交通事故死者だけの特異な動きに、如実に現れています。

 警察・国土交通省・自動車メーカーは、「3ナンバー規制撤廃」による負の側面が、国民に知られると非常に不利益を被る点で利害が一致しているため・・・
「3ナンバー規制」撤廃後は、交通安全に関するプレスリリース・広報・報道は、一貫して「交通事故死者」の減少を、まず第一に、大きく取り上げる傾向があります。
「3ナンバー規制」撤廃後の「交通事故発生件数」・「負傷者数」が、自動車保有台数の増加率をはるかに超えて、増加したことには、一切触れない大本営的姿勢をとり続けています。

 そして、この問題を取り上げるべきマスコミも、役人の発表の裏を読み解く能力も無いので、ただ与えられたプレスリリースを鵜呑みにして、そのまま流すだけ。
 たとえ、一部の記者がそのプロパガンダに気付いたとしても・・・
・警察・国土交通省との関係が悪化すると、報道機関として様々な情報入手が困難になることへの配慮
・自動車メーカーは、マスコミの広告クライアントとして、最大のシェアを占めるお得意様という利害
   
マスコミにとって最大のスポンサーに不利益となる、このような問題には触れないことが不文律となっているでしょう。

 「国民の生命・安全」を「日米貿易摩擦解消のため」とはいえ、米国の利益のために売り渡した「3ナンバー規制撤廃」は、戦後の悪政の中でも格別なものであることを理解してもらえたでしょうか?

(まとめ)
結局のところ、簡単にまとめると3ナンバー規制撤廃後の交通事故の状況は、以下のとおりです。

人車分離という道路交通行政の基本もままならない後進国的道路は、一向に改善されないのに・・・
日米貿易摩擦解消のため「3ナンバー規制」撤廃。
ムダに大きくなった車のおかげで、「自動車乗車中の交通事故死者」は減少。
そのかわり、巨大でハイパワーな車の増加により、交通事故発生件数は、急増。
 相対的に交通事故死者に占める歩行者(特に65歳以上の老人と子供)が増加。


*もっと端的に表現すれば・・・
※日米貿易摩擦解消のため「3ナンバー規制」撤廃したおかげで・・・
→「自分だけ安全な“3ナンバー車”に乗った若者によって、道幅も狭く、人車分離もままならない“後進国的道路”で、老人や子供が跳ね飛ばされている。」・・・という状況なのです。


 (つづく)
 

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山一證券を経て、現在エンタメ系企業の役員を務めるかたわらコンサルとして活動中の筆者のブログジャーナル。公金を毀損する輩・高齢者・弱い者を騙す輩を糾弾だ!
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