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  2. 2010年07月

白山市長の神社式典祝辞、最高裁「合憲」判決 ・・・当たり前の結果だが、そもそもこんな訴訟に意味があるのやら

<白山市長の神社式典祝辞、最高裁「合憲」判決>   /(2010年7月23日 読売新聞)
 白山市の角(かど)光雄市長が、神社の記念式典に公用車で出席して祝辞を述べたのは憲法の政教分離原則に違反するとして、同市内の男性が市長を相手取り、公金の返還を求めた訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷は22日、2審・名古屋高裁金沢支部の違憲判決を破棄する「合憲」判断を下した。角市長は市役所で取材に応え、「適切に判断していただいた。(祝辞は)白山ろくが観光面で力を付けてほしいという願いで行ったものだ」と述べた。
 問題になったのは2005年6月に開催された白山比?(ひめ)神社の鎮座2100年大祭に伴う事業の記念式典。角市長は市の職員を伴い、式典会場に公用車で出席して祝辞を述べた。
 2008年4月の2審判決は、大祭を「神社の個別的祭事で、観光イベントとして習俗化されていない」とし、角市長が式典で祝辞を述べた行為を「宗教的活動にあたり、公金支出は違法」と判断。公用車を運転した職員の時間外勤務手当2000円の返還を角市長に命じた。市長側は判決を不服として上告していた。
 上告理由を「判例となると全国の自治体に与える影響が大きい」と説明していた角市長は、「全国の首長の皆さんには大変迷惑をかけた。(地元神社の行事で)代表してあいさつすることは首長の職務。最高裁でこういう判決が下ったから、今後は皆さん慎みながら参加されるだろう」と話した。
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ぼへー 「市長が神社の記念式典に出る」・・・そもそもこんなことを裁判で争い、最高裁まで争うなどということが時間のムダ。
結局、5年もかけて、常識的な判断が示されただけです。
こんなことは、裁判しなくても常識的に考えれば、何の問題も無い行為でしょうに。
時間が無駄なだけならまだしも、こんなどうでも良い、「政教分離原理主義者」の意地のためだけの裁判によって、検事・裁判官の時間が取られ、公費の無駄遣いです。
そして、他のもっと重要な裁判の審理が遅れるという2次被害も生じますから・・・
日本では、そうでなくても裁判に無駄に時間がかかるのですから、このような「ためにする裁判」を提訴時点で門前払いに出来ないものなのか?
 いままでにも、「地鎮祭は違憲・・・」などと同様のどうでもよいような「政教分離」に関する裁判が、もう充分繰り返されてきているではないか?

※政教分離原理主義者の主張を単純化すると・・・
・「地鎮祭などに公人が参加、公金使う」
   ↓
・いずれ「国家神道」が復活へ!
   ↓
・「信仰の自由が無くなる」
   ↓
・「戦前に逆戻り、軍事独裁体制に・・・、戦争が・・・」
~といったところなのでしょう。

 こんな妄想じみた考え方に基づいて、クダラナイ裁判を繰り返すことは、本当に時間と公金のムダに過ぎないと思います。
それに、上記のような論理では、公人は「葬式」にも「クリスマスパーティー」にも出席してはならないでしょうね。
「葬式」も宗教は絡んでいますから。
(「政教分離原理主義者」は、満足するのでしょうね・・・)

 そもそも「政教分離」の本質的な問題とは、「特定の宗教団体が、具体的に“政治”に影響を与えることを排除する」ということでしょう。
「地鎮祭に出る・・・」とか「玉串料・・・」というレベルの話ではないはずです。
逆に言えば、「神社の式典」程度の些事にさえ、ゴチャゴチャいうヒマがあるなら、もっと現代の日本における政教分離についての重大な問題について裁判を起こした方が良いでしょうね。

 最も良い例が、「公明党≒創価学会」問題でしょう。
現代日本において、宗教勢力による具体的な政治への介入という意味で、大変重要で危険な大問題ですから!
 本来なら、与党第1党である民主党あたりが、この「政教分離」無視の、いかがわしい宗教による政治への介入問題に、鉄槌を下すべきなのだが、腰抜けの上に、地方では、創価学会様のお世話になっているので、何にも言いやしない。
 大して国民に実害のない“神社の式典”には、不必要な位クダクダ文句たれてる割りに、国民に非常に不利益をもたらしている「政教分離原理主義者」も、このいかがわしい宗教団体の政治介入には、知らんぷり…。
上記の記事の裁判を起こすような「政教分離主義者」って一体どんなヒトなんでしょうね?
「創価学会の傀儡政党公明党」のような政教分離上の大問題はホッタラカして、「神社の式典」みたいな重箱の隅ばかりつついて・・・
逆に、政教分離主義者とは、イコール創価学会員ということなのかもしれませんね?

現在「公明党」なんていう事実上「政教分離」に反する宗教団体の傀儡政党の存在が、「政教分離」について国会ですら全く議論もされず、黙認され続けているため・・・
最近では、宗教団体もタガが外れ、「幸福実現党」などという二番煎じも現れてきました。
そろそろ「神社の式典」など後回しにして、「政教分離」について真面目に考えないと、日本の政治は、新興宗教の独壇場になりますよ。
現に、ごく少数の投票で当選を左右できる地方議会については、「時既に遅し」というような状況ですが・・・


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<米国の金融規制改革法案が成立> ・・・思い返せば、やはり銀証分離・グラス・スティーガル法は正しかったね。

<米金融規制改革の狙いは分かるが >          2010/7/17 日本経済新聞
 難航していた米国の金融規制改革法案が成立することになった。銀行がリスクの高い取引に手を出すのを抑制し、金融危機の再発を防ぐことを狙った。危機防止は世界共通の課題だが、金融規制は国ごとの市場や取引のあり方を踏まえる必要があることは再確認しておくべきだ。
 ざっと2千ページにのぼる今回の法案は、細目を詰めるために500余りの規則を作る必要があるが、目標はとてもはっきりしている。リーマン・ショックのような金融危機を2度と起こさないようにすることだ。
 預金を預かり決済という金融のインフラを担う銀行が、リスクの高い取引による損失で経営を揺さぶられるような事態を防ぐ。ボルカー元連邦準備理事会(FRB)議長の主張した「ボルカー・ルール」が、法案の基本的な哲学となっている。
 世界恐慌後の1933年に成立したグラス・スティーガル法は、銀行と証券の分離という米国の金融制度の大枠を定めた。80年代以降の急速な金融の進化を受け、その仕組みは99年に撤廃された。ところが、銀行と証券の業務が複雑に融合するのに既存の金融規制や監督が追いつけず、今回の金融危機が発生した。
 今回の金融規制法案はグラス・スティーガル法を単純に復活させるものではないが、金融機関の活動にタガをはめる。金融界の反発は大きく調整には時間を要した。例えば銀行によるヘッジファンドなどへの投資も全面禁止するのではなく、銀行の中核的自己資本の3%までという制限付きで認められた。
 大手金融機関の経営が悪化した場合、「大きすぎてつぶせない」事態となり結局は公的資金で救済してきた。法案では円滑に破綻処理できる仕組みを作った。規制当局を束ねる金融安定監視評議会も創設し、FRBの監督権限を広げ強めた。
 大規模な金融危機が多くの米国民の生活を台無しにした。公的資金を使い救った大手金融機関は今や高収益をおう歌する。今回の法案は米国の金融システムを立て直そうとしたものではあるが、同時に国内のそんな空気も色濃く反映されている。
 国際的に金融規制見直しの動きが広まるなか、今回の法案は大きな一石を投じようとしている。ただ米国では直接に市場を通じた金融が中心なのに対し、日本は銀行による貸し出しが主体であるなど、日米では金融の仕組みが大きく異なる。
 米国と同じ規制を機械的に取り入れるのではなく、金融危機の再発を防ごうとする今回の法案を貫く精神こそを参考にすべきだろう。
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ぼへー 米国で金融規制改革法案がようやく可決されましたね。
この問題を見るにつけ、「歴史は繰り返す・・・」「のどもと過ぎれば、熱さ忘れる・・・」といった人間の業を考えさせられますね。
世界大恐慌で、とんでもない暴落・経済崩壊を経験し、そんなことが繰り返し起こらないように制定されたグラス・スティーガル法による「銀証分離」でした。

 しかし、時は流れ、大恐慌の痛みを知る者も減り、「銀証分離」の本質的な意味合いは忘れられていきました。
そして、銀行業界による「金融自由化が・・・」「ユニバーサルバンキングが・・・」「ワンストップサービスで顧客の利便性が・・・」などと自分たちに都合の良い耳障りの良い理由をつけてのプロパガンダにより、グラス・スティーガル法による「銀証分離」は、ドンドン骨抜きにしていきました。
そしてついには、1999年には完全に撤廃され、晴れて銀行の宿願達成し・・・銀行による証券業務がますます本格化。
 しかし・・・それから10年と持ちませんでしたね、崩壊まで。
銀行業界の言い分では、顧客の利便性が上がり、「素晴らしい金融サービスの時代」が訪れるはずだったのにね!
それどころか、一般のヒトは大きなツケを払わされました。

 こんなことは、少し考えれば、当然の結末でした。
どんなに言葉を弄してみても、銀行業の本質は「高利貸し・金貸し」なのです。
 ヒトから二束三文で小口のカネを集めてきて、カネを必要としているヒトに高利で貸して、サヤを稼ぐ商売です。
この「高利貸し」という商売自体が、既に十分不道徳で、たいていの宗教で戒められているくらいなのに・・・
その銀行自身が、証券業務も行うということは、わかりやすく言えば、「いずれ金利をつけて返さなくてはいけない他人のカネで、元手も無くなりかねない“投機”をしよう」ということですから・・・
せっかく大恐慌後「銀証分離」によって、少なくとも「バカに鉄砲を持たす」ようなことはないようにしておいたのに・・・こんなタガを外していけないのは、簡単に分かりそうなものですが。

 つまり、あなたが「Aさんにお金を貸した」としましょう。
そのAさんが、あなたの貸したお金を持って「これから競馬場へ行って来るわ。10倍にしてくるからよ・・・」
と言ったらどうします?
貸した金を取り返しませんか?
「銀行が、野放図に証券業務を行える。」ということは、分かり易く言えば、これに近い状態ですから・・・

 結局タガを外した結果、今回のリーマンショックでもツケを払わされたのは、納税者・小口預金者でしたね。
銀行自身は、傷ついたとはいえ自業自得ですし、それまでに充分大儲けしましたから・・・
その上、リーマンショック後も、銀行をはじめとする多くの金融機関が、税金で救済までしてもらっている始末です。
他人のカネで投機に手を出し、失敗して破綻すると税金で救済・・・銀行って、楽な商売ですね。

 多大な犠牲を払い、痛い目を見て、ようやく米国も目が覚めました。
グラス・スティーガル法ほど徹底していませんが、金融規制改革法で、金融業界の「バカが鉄砲を持っている」状態もだいぶ改善されるでしょう。
欧米を周回遅れでついて行く日本の金融業界はどうすることやら・・・


(後記)
 私が証券業界にいた当時も、ちょうど「銀証分離」がドンドンなし崩しになっていく時代でした。
しかしながら、その当時は、まさか完全に「銀証分離」が無きものにされるとは思いませんでしたね。
そんなことになれば、おのずと結果は分かりきっていますから。
銀行資本の貪欲さ、政治力は想像以上であると実感します。
他人からカネを集めて、投機に使い破綻する・・・これじゃ「円天」のオヤジと変わらないね。
銀行にカネを預けるのは、たいした金利はつかない変わりに安全だと思うからです。
それを、投機に使い「破綻しました・・・税金で救ってね、そうじゃないと預金パーよ・・・」ですから。
本当にあほらしい。
こんなことなら、最初から自分で投資しておいた方がマシです。
 今後も同じことを繰り返して、高いツケを払わされないようにするためにも、リーマンショックを体験した世代が、「銀行(金貸し)が、他人のカネを元手に、投機をする(バクチを打つ)のを許してはいけない。」ということを覚えておくことが必要です。

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<落選法相の留任 民意を無視する首相要請> ・・・民主党は筋金入りの死刑廃止政党なのか?死刑廃止論者にだまされるな!

<落選法相の留任 民意を無視する首相要請>   2010.7.16 産経ニュース
 参院選で落選した千葉景子法相は菅直人首相に辞意を伝えたが、首相は「行政の継続性という観点から、続けていただくことが望ましい」とし、続投を求めた。理解に苦しむ判断である。
 千葉氏は昨年9月の法相就任当初から、家族の絆(きずな)を壊す恐れがある夫婦別姓制の導入に強い意欲を示した。今年2月の法務省政策会議では、男女が婚姻時に同姓か別姓かを選ぶ「選択的夫婦別姓制度」を柱とする民法改正案の概要が示された。
 先月、千葉氏は内閣府に政府から独立した人権委員会を設置する人権侵害救済機関設置法案の中間報告を発表している。人権侵害救済機関には政府や特定団体による恣意(しい)的な言論・表現統制の危険性が指摘されている。
 いずれも閣議決定には至っていないが、千葉氏が早期実現を目指していた法案である。
 その一方で、千葉氏は法相として一度も死刑執行の署名をしていない。弁護士出身の千葉氏は死刑廃止論者としても知られる。
 有権者はこうした千葉氏の約10カ月の法相としての仕事ぶりも含め、「落選」という審判を下したのである。千葉氏の留任はこの民意を無視したものといえる。
 菅首相は「大臣は議員である人が多いが、議員でなくても適任者であればなれる。千葉氏は法曹出身でもあり適任者だ」とも述べている。たとえ法曹出身者であっても、死刑執行の署名など法相としてなすべきことをしない人物が適任者とは、とてもいえない。
 法相留任の背景には、千葉氏が辞任すれば、民主党内から内閣改造要求や党執行部の責任を問う声が激しくなりかねないことへの懸念もあったといわれる。こうした党内事情や「政局的打算」を優先させるのは筋違いである。
 首相が求めた留任期間は9月の党代表選までとされるが、落選した閣僚が1カ月以上、内閣にとどまった例は過去にない。まもなく各省庁は来年度予算への概算要求の大事な時期に入る。適格性を備えた新しい法相がこれにあたるべきだ。
 参院選で、郵政民営化の逆行路線を主導した国民新党は議席ゼロに終わったが、落選した長谷川憲正総務政務官も留任した。この続投も理解を得られにくい。
 菅政権は千葉氏落選の結果を真摯(しんし)に受け止め、これらの政策をゼロから再検討すべきだ。

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ぼへー 民主党は、野党時代には、ことある毎に「国民の声を反映し・・・」「国民の信を問え・・・」と言い続けていましたね。
しかし自分たちが、与党になると国民の声など一切無視か・・・
まるで民主党は、国民の大多数が支持している「死刑制度」を骨抜きにしたいかのように・・・
死刑執行を担当する法相に「死刑執行の署名などしないに決まっている!」“死刑廃止論者 ”を任命しました。
民主党の思わくどうり・・・この法相は、一切死刑執行しませんでしたね。
こんな法相の人選自体が、国民を愚弄し、一般国民の声を無視した所業でしたね。
法制度上死刑が存在するのに、法相の恣意により執行しないという、法治国家とは思えない状況を作り出しました。
死刑制度廃止をしたいなら、そのような法案を上程し、法制化するべきであり、それが立法を掌る政党というもの本分でしょうに・・・
立法を掌るもの自身が、法の執行を恣意的に行い、おろそかにするようでは、お終いです。

こんなヤリ口にも、民主党の国民を愚弄した「左翼エリート・インテリ」思考が丸出しですね。
民主党にしてみれば、「死刑を支持するような粗野で野卑な国民」を、死刑廃止論者の法相で「“教化”・“浄化”してやろう!」とでも驕っていたのでしょう。

 しかしながら、そうは問屋が卸さず「おえらいエリート死刑廃止論者様」は(愚劣な?)国民から強烈なダメ出しを受けました。
それでも、おエライ“民主党様”は「この法相を留任させるッ!」ときたもので・・・
本当に「天にツバする」連中です。
 実際のところ、民主党の“教条的”・“おベンキョウ秀才的”浮世離れした「死刑廃止」に対する姿勢が、非常に危ういことに、(愚劣な?)国民の方が、直感的に見抜いています。
普通の国民の“皮膚”感覚のほうが、よほどリアリスティックであるといえるでしょうね。

 おしなべて民主党のような「お勉強秀才的」・「市民運動ごっこ的」・「脳内お花畑的」な理想論者が、死刑について語る場合、その主張は下記のように、浮世離れした片手落ちの認識に止まりますからね!
   ↓

※<脳内お花畑的「死刑廃止論」の誤謬とは>

 脳内お花畑的・友愛的な「死刑廃止論者」の主張は、簡略化すると以下のようなものでしょう。
「死刑は人命を奪う残酷な刑罰で、人権に反する国家権力(司法)の過剰行使。先進欧米諸国では、死刑廃止は趨勢である。日本は、死刑を廃止していない人権無視の前近代国家だ。」

 このような主張は法理論的には正しいかもしれませんが・・・
実は、死刑制度以前の欧米諸国における「治安維持」のための過酷な国家権力行使の実態を、意図的に隠蔽(矮小化)した“お子様”の議論としかいえません。

 確かに欧米先進諸国は、死刑廃止している国は多くなっています。
それは、アムネスティなどの機関への配慮・国家としての人権意識の表明のためもあり、「法制度」としては、死刑を廃止しています。

 それでは、死刑を存置する日本は残虐非道な野蛮国家なのでしょうか?
死刑廃止している国では、犯罪者は一人も殺されないでしょうか?
実は、日本で死刑執行される人数など比較にならないほど、多数の犯罪者が、死刑廃止している国でも殺されているのです。
それどころか、日本ほど国家権力(警察)が、犯罪者を殺さない国はまれなのです。

欧米先進諸国では、現実の治安維持の現場では、凶悪なテロリスト・犯罪者は、よほど逮捕の段階でおとなしく、警察に従わない限り、狙撃・射殺されることは、それほど珍しくありません。
デモ・暴動の鎮圧程度でも、かなり荒っぽい強硬措置が取られますので、負傷や死亡は日常茶飯事です。

※先日もこんな具合…日本では、デモの鎮圧による死者など、戦後で考えても数えるほどです・・・
  ↓
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【5月6日 AFP】ギリシャの首都アテネ(Athens)で5日、予算の大幅削減や増税を柱とする政府の財政赤字削減計画に抗議するデモ隊と警官隊が衝突し、3人が死亡した。
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 米国に至っては、軽微な犯罪でも、警察に制止を要請されて従わないような場合は、躊躇なく発砲します。
また、欧米では、テロリストやハイジャックなどの重大犯罪に備え、SWATのような狙撃専用部隊を編成し、犯行時には犯人を容赦なく狙撃し、射殺してしまいます。
 近年でも英国で、無実のブラジル人テロ容疑者が射殺され国際問題になっていましたが、英国民の世論は(無実のヒトが射殺されても)「仕方がない」という意見が、大多数を占めていました。
これって実は、犯罪者でもないのに死刑になった(冤罪)と同じでは…?

 一方、治安が悪くなったとはいえ日本の場合、警察が発砲することすら、いまだに、ごく僅か!
射殺することなど、戦後を通じても、数えるほどしかないのが現状です。

「死刑を廃止」するのは、良いかもしれません。
しかし、それならば、他の死刑を廃止している欧米先進諸国と同様に、犯罪容疑者に対する射殺を含めた冷徹な国家権力の行使は、認めるべきでしょう。

 死刑廃止問題が取り上げられる度に、日本は外交・政治が下手だと実感させられます。
欧米諸国は、法制度整備について、特に問題視しますから、法制度上死刑が存置していることを取り上げて、
「死刑は人命を奪う残酷な刑罰だ・・・。」
「先進欧米諸国では、死刑廃止は趨勢である。」
「日本は、死刑を廃止していない人権無視の前近代国家だ・・・。」
などと批判をされてしまいます。
しかし、本当に日本は人権無視な国家なのでしょうか?

そもそも国家が凶悪な犯罪者の命を奪う方法は、2通りあります。
1.法制度としての“死刑”
2.警察権力の行使

 そして、簡単に言えば、日本は事実上「1だけ」、欧州諸国は「2だけ」で対処しているというだけの違いです。

 米国以外の欧州先進国は、“死刑”は廃止している国が大半ですが、警察権力の行使によるテロリストを代表とする凶悪犯罪やデモ・暴動から治安を維持するために、現場における発砲・射殺を廃止している国は、ありません。
それどころか、狙撃専用の特殊部隊まで配備しているのが普通です。

 そして、「我々は、“死刑”を廃止した人権重視の国だ。」と主張しながら、抵抗するテロリスト・凶悪犯・デモ暴動参加者などは、躊躇無く発砲・射殺してしまいます。
死刑は「人権への犯罪…」「国家による殺人…」と騒ぐわりには、このような警察権力の行使については、正当としていますし、それを廃止した国などありません。
(さすがに「射殺」にいたることは凶悪なケースに限られますが、「発砲」など日常的に行われます。)

 日本の場合は、全く逆で、銃器や薬物が氾濫した現在でさえ、どんな悪質な凶悪犯にも威嚇発砲することすら極めて稀で、射殺など戦後通算で考えても、極僅かに過ぎません。
事実上禁止しているに近い運用です。
(不合理なことに凶悪犯に殉職させられる警察官の数の方が、はるかに多いのです・・・。)

 そして、“死刑制度”はありますが、日本における1999-2008年の10年間の死刑執行数は39人、平均したら、3.9人/年にすぎません。
これは、欧州各国で警察権力の行使で(裁判すら受けられず)その場で射殺される犯罪者の数と比べ、圧倒的に少数です。
 米国など、「警官に撃たれて死ぬ」ことが“自殺”のひとつの方法になるほど、警官に射殺されることは日常茶飯事です。
凶悪犯はおろか、警官の制止を無視しただけで撃たれますから・・・。

 これで、「日本は人権無視の野蛮国・・・」と批判されてしまう現状は、返す返すも割に合わない。
日本の方が、(死刑は存置していますが、)凶悪犯を殺す絶対数は圧倒的に少ないのですから・・・。
どちらが人道的なことやら…

~~所詮、人権団体など現場を知らない連中の集まりで、政府刊行物などの統計資料に出てきたり、死刑制度のように制度として形作られたモノに対しては、それを調べあげてイチャモンをつけてきます。
逆に、欧米で当り前に実行される、犯人かどうか裁判も受けないうちに、現場で射殺されてしまうケースについては、特段資料も残りませんので調べられることもなく、勧告も出しませんから・・・所詮お役所仕事なのです!~~

 以前から私は、この問題の解決策として主張していますが・・・
国益のためにも(国家イメージを損ねるイチャモンをつけられないため・人権配慮への国際協調のため)、死刑は廃止するべきでしょう。

 ただし、その引きかえに、以下の2点は必須条件ですね。
1.凶悪犯に対する発砲・射殺といった警察権力の行使を“欧米人権国”と同様に、現在よりはるかに緩和すること。
2.釈放のない終身刑の導入

 逆に言えば、この2条件を満たさないならば、“死刑”廃止は、ありえません。

現在の日本の世論が「死刑」制度支持であるのは、もっともなバランス感覚であって、決して人権感覚が欠如しているのではありません。
一般の国民は、現状で死刑制度を無くすことの危険性を肌で感じとっているのです。
今の日本で単に“死刑”を廃止すると、凶悪犯は全く殺される可能性が無くなってしまいます。
そんな国家世界中どこにもないでしょう。そんなの逆に異常事態ですよ。
死刑廃止論者のお花畑脳に比べれば遥かに現実的です。


 逆に、“死刑”を廃止しても、現在の“死刑”などよりも、ずっと多くの凶悪犯が、警察権力の行使により、発砲・射殺されるようになるのであれば、一般国民も国益を害する“死刑”廃止に対する抵抗感は、低減するでしょう。
何故なら、ほとんど執行されることの無い「死刑」なんかより…
「暴動に参加したり」、「略奪行為を行ったり」、「警官の停止命令に逆らったり」…すると「射殺される可能性がある」ことのほうが、犯罪抑止には、ずっと効果的ですから…。

追記
 この死刑問題はもちろん・・・、国際的に遡上に載せられる問題に対する対処は、もっと現実を見据え、国益を考えねばならないですね、日本の場合。
 どうも日本は、真面目というか、融通が利かないというか、杓子定規というか・・・人権・国家イメージ等の面から考えても、犯罪抑止面を考えても、凶悪犯は、“死刑”にするのを諦め、“死刑”を廃止して、そのかわり他の欧米各国と同様、「凶悪犯は、現場で射殺する。」という方向に方針転換すればよい、それが大局的な決断というものです。

 先進資本主義民主主義国として生きていく以上、国際協調は前提であり、あまり小さな問題に拘泥することで大きな国益を毀損することが無い様に世論誘導・政策立案すべきでしょう。
 まあ今後日本が(イスラム諸国のような)宗教国家・(中国・ロシア・北鮮のような)専制独裁国家として、国際的に孤立して生きていくとでもいうなら別ですが・・・。

 「従軍慰安婦問題」なども同様で、私も日本人としては悔しい面はありますが、大局的な局面としては、敗北は既に確定しています。
これ以上傷を深めないためにも、「耐え難きを耐え」謝って収拾してしまうことが正しい判断というものです。
 「児童ポルノ規制」なども同様で、国益を考えたらトットと単純所持規制を含め厳格な規制をしないと、ますます国際世論の非難を受けることは確実ですね。



※世界では死刑囚・犯罪者どころか、デモ・暴動には参加するだけで発砲はおろか、射殺されかねませんから…仮にその国が、死刑廃止してたとしても、テロ・凶悪犯罪からの治安・秩序維持のためには、厳しい警察権力の行使を行います!
ちょっと検索しただけでも、ゾロゾロ「射殺」されています。
「発砲され負傷程度」はどれだけいることか…
「死刑」と違って制度ではないので、偶発的事象として取り扱われますから、公式統計も残らない点も“人権国家”としては都合が良い…。
  ↓
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<パリ・サンジェルマンのサポーター乱闘、私服警官に撃たれ1人死亡 - フランス> 【パリ/フランス 24日 AFP】  2006年11月24日
警察当局によると、23日に行われたサッカーUEFA杯(UEFA Cup)のパリ・サンジェルマン(Paris Saint-Germain)vs ハポエル・テル・アビブ(Hapoel Tel Aviv)戦後、敗れたパリ・サンジェルマンのサポーターがハポエルのサポーターを暴行。これを制止しようとした警察官が拳銃を発射。パリ・サンジェルマンのサポーター1人が死亡し、1人が負傷した。
■警察は、催涙ガスを発射後、実弾数発を発射
 警察当局がAFPに語ったところによると、4-2で試合に敗れたパリ・サンジェルマンの暴力的なサポーターの一団約150人が、スタジアムの外でハポエルのサポーターに暴力を振るっているとの報を受けた警察官が現場に急行した。警察官は乱闘騒ぎを静めるため、催涙ガスを発射した後、実弾数発を発射した。これにより、1人が即死、1人が負傷したが、負傷者のケガの程度はわかっていない。
 発砲した警察官はサポーターたちと乱闘となり、近くのマクドナルドに逃げ込んだという。この事態を受け、警察は増援部隊を現地に派遣し暴動を鎮めた。
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サポーターの衝突で1人死亡=3試合が中止、暴動-イタリア・サッカー /2007年11月12日 時事通信
 【ロンドン11日時事】イタリア中部のアレッツォ近くの高速道路の休憩所で11日、サッカーの同国1部リーグ(セリエA)のラツィオとユベントスのサポーターが衝突し、1人が鎮圧に当たった警官の威嚇射撃を受け、死亡する事件があった。
 死亡したのはラツィオのサポーターで、26歳の男性。同日ミラノで行われる予定だったインテル・ミラノ-ラツィオ戦の観戦に向かう途中で事件に巻き込まれた。ユベントスのサポーターはナポリからパルマでのパルマ-ユベントス戦に行く途中だったというが、詳細は捜査中。
 事件を受け、同国サッカー協会はインテル戦とローマでのローマ-カリャリ戦を延期。他の試合は10分遅れで開始されたが、ベルガモでのアタランタ-ACミラン戦では、反発した観客が警官と衝突、ピッチに乱入を試みる騒ぎとなり、試合開始から約10分で中止された。また、ローマではラツィオのサポーターが暴徒化し、同国オリンピック委員会や警察本部を襲撃するなど騒動の余波は広がりを見せている。
 イタリアでは、2月にもシチリア島でのセリエAで、サポーターの暴動で警官が死亡する事件が起き、競技場の安全基準が見直されていた。 
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<独学校で乱射、15人死亡 犯人は元生徒で射殺される>  (2009年3月11日 CNN.co.jp)
ドイツ南部にあるウィネンデン町の学校で現地時間の11日午前9時半ごろ、迷彩の戦闘服姿の男が侵入しいきなり乱射、地元警察によると15人が死亡、複数が負傷した。重傷者もいる。犠牲者には教師3人、生徒9人が含まれる。
捜査当局によると、犯人は17歳の同校の元生徒で、犯行後に逃走、警察が同町を封鎖し、ヘリコプターなどを出動させて行方を追い、学校から約15キロ離れた地点で見付け、射殺した。
犯行の動機は不明。乱射は同校の2教室で約2分間続き、学校から逃走する際にさらに殺害したとの情報がある。車を奪い、運転者らを人質に、町の中心部の方向へ逃走していた。複数の武器で武装していたとの情報がある。
事件を受け、同学校の生徒は避難した。当時、約1000人が在校していた。学校は技術系で、中学校に相当するという。
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<英特殊部隊、地下鉄車内でテロ容疑者を射殺> (読売新聞)
 英捜査当局は22日、ロンドンの地下鉄ストックウェル駅の地下鉄車両内で同日午前10時すぎ、男1人を射殺したと発表した。
 射殺された男について、英BBC放送は21日にロンドンの4か所で起きた同時爆発事件の容疑者と報じ、英スカイテレビは自爆テロを企てていたと伝えた。
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<05年ロンドン同時テロ、誤射殺されたブラジル人男性の遺族が敗訴 - 英国> 2006年12月15日 /AFP
【ロンドン/英国 15日 AFP】2005年7月にロンドンの地下鉄の駅でブラジル人男性が武装警官に誤って射殺された事件で、関係した警官らを不起訴処分とする決定を不服として控訴していた男性の遺族らの訴えが14日、退けられた。事件は2005年7月22日、ロンドンの地下鉄ストックウェル(Stockwell)駅構内で、電気技師ジェアン・シャルレス・デメネゼス(Jean Charles de Menezes)さん(当時27)が、前日発生した同時自爆テロに関与していたとの誤解から射殺されたもの。ロンドンでは事件の2週間前にも、大規模な同時爆破テロが起きていた。遺族らは、誤射事件直後にロンドン警視庁が事実の隠ぺい工作を行ったとして、イアン・ブレア(Ian Blair)警視庁長官の辞職を繰り返し要求したと報じられている。写真は14日、ロンドンの王立裁判所前で取材に応じる遺族ら。
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<スイス各紙、サミット批判>
 イタリア・ジェノバで開催されていた先進主要国首脳会議(サミット)が22日閉幕した。グローバリゼーションに抗議するデモ隊と警官隊との衝突で死者まで出したサミットをスイス各紙は「サミットの狂気」と非難した。
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<【タイ衝突】流血の事態に 対立深刻化、完全解決遠のく> /産経ニュース 2010.4.11
 タイ政府は10日、タクシン元首相の支持団体、反独裁民主統一戦線(UDD)のデモ隊の強制排除に乗り出し、約1カ月にわたって続いた反政府デモは流血の事態に発展した。日本人ジャーナリストを含む犠牲者がデモ隊、治安部隊双方に出る中、収拾のめどは立っておらず、強攻策を選択したアピシット首相は厳しい立場に追い込まれた。
 日本人ジャーナリストの死亡は、ミャンマー・ヤンゴンで反政府デモを取材中に銃撃され、死亡したカメラマンの長井健司さん=当時(50)=以来。
 タイでは昨年4月にも、治安部隊とタクシン派の衝突で死傷者が出ており、2年続けて流血の事態となった。
 バンコクからの報道によると、村本さんは左胸を撃たれて死亡したという。
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「残高ゼロ」のはずが300万円 みずほ銀入力ミス、返還求め提訴 ・・・人の失敗につけこむ、卑怯者ばかりになってきたね。

<「残高ゼロ」のはずが300万円 みずほ銀入力ミス、返還求め提訴>  /2010.7.12  産経ニュース
 みずほ銀行京都支店(京都市)が顧客の預金150万円を払い戻す際に「入金」として処理し、口座に誤った残高を記録するミスがあったことが12日、わかった。顧客は直後に全額引き出しており、同行は不当利得として、返還を求める訴えを京都地裁に起こした。
 銀行側は「めったにないことで、訴訟は避けたかったが、客が返還に応じてくれなかった」と“苦肉の策”を強調している。
 提訴は6月21日付。訴状によると、顧客の男性は2007年4月、京都支店の窓口で150万円の預金を引き出した。その際、担当者が誤って同額を「入金」として処理したため、本来ゼロとなるはずの残高が300万円と記録された。男性は同じ日に別の支店で引き出した。
 銀行側がミスに気付き、返還を求めたが、男性は「お金は手元にない」と答えたという。
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ぼへー 本当にこのようなニュースを聞くと、暗い気持ちになりますね。
「銀行憎し・・・」というわけではないのでしょうが、こんな明らかな相手のミスを逆手にとって、卑怯な男ですね。
きっと銀行は、下手に出て、謝罪し、返還してくれる様に頼んだであろうに・・・
多少のお礼程度は、支払うことも申し出たコトでしょう。
このミスをした行員も、居たたまれないでしょう。
本当に常識というものが通じない世の中になりました。
こんなケースで、裁判になるまで、返還しない男がいるのでは・・・
どう考えても、自分の金でもないのに!

 近年よく見る似たようなケースで、ネットショップで商品の値段を、明らかに桁間違いと分かる値段でも、ミス入力すると・・・
「ミスだろうがなんだろうが、絶対その価格で売れっ・・・」
「ミスにつけこんで、大量注文・・・」
「間違えた店が悪い・・・」
なんて恥知らずな輩がゾロゾロわいて来ます。
一体どうしてこんな人間が増殖してきたのでしょうかね?
 人間関係が希薄になって、「人の気持ちを思いやる」というか「人の気持ちを想像する」こともできないし、しないようになってきていることは確かです。
それで、「人を人とも思わず」に行動できるようになっているからなのでしょうか?

※フランスのTVでの実験は、実に示唆に富んでいます。
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<番組参加者、操作次第で「拷問者」に 仏で心理学の実験>  2010年03月17日  【3月17日 AFP】
 クイズ番組の参加者が「拷問者」になるという心理学的実験が、フランスのテレビで行われた。番組参加者たちは、男性が叫び出すまで電気ショックを与え、さらに死んだようにぐったりするまでくり返し電気ショックを与え続けた。
 このテレビ番組「死のゲーム(The Game of Death)」は、ごくふつうのクイズ番組と同じ体裁を整えている。歓声を上げる観客とグラマラスな有名女性司会者が、スタジオのきらびやかな照明の下に参加者を招待する。
 実はこの番組は、テレビが人びとをどれほど残虐にさせることができるかを調べる心理学の実験として行われたもの。クイズ挑戦者たちにはそのことが知らされず、実験の結果はナチス・ドイツの残虐さと思わず比較するようなものとなった。
 このドキュメンタリー番組を制作したクリストフ・ニック(Christophe Nick)氏は、番組司会者の加虐的な命令に「番組参加者の81%が従ったことに驚かされた」と述べた。番組は、17日に国営フランス2(France 2)チャンネルで放送される。
「(参加者は)命令に背く準備ができていなかった」とニック氏は解説する。「彼らはやりたくなかったし、権威者に止めるべきだと訴えようとした。けれどもそれができなかった」
■クイズ番組として募集
 ニック氏と心理学者らは、志願者80人を集め、新番組のパイロット版(試作版)への出演と説明。番組の内容は、相手「プレイヤー」に質問をぶつけ、相手が質問に正解できなかったときに最高460ボルトの電流を流して罰を与えるというものだった。
 実はこの相手方の男性は俳優で演技をしていたのだが、観客と参加者は知らされておらず、本物の電気ショックだと信じていた。参加者たちは気が進まない様子だったが、司会者の命令と、スタジオの観客の「処罰せよ!」の合唱に従った。相手方の男性が「放してくれ!」と叫び、また、死んだようにぐったりしても、参加者たちは電気ショックを加えるのを止めなかった。
 ニック氏によると、スタジオを立ち去ったのは80人のうち16人だけで、参加者の約80%は、最大460ボルトの電流で男性に電気ショックを与え続けたという。
■実験の意義は?
 番組後のインタビューで、ある参加者は、祖父母がナチスに迫害されたユダヤ人であるにもかかわらず、自分は番組で拷問行為を続けたと語った。ソフィー(Sophie)さんは、「少女のころからずっと、どうしてナチスはあんなことをしたんだろうと自問自答してきた。どうしてあんな命令に従えるのだろう?と。でもわたし自身がそんな命令に従っていた」と語った。
 また、別の参加者は「相手のことは心配だった」と述べた上で、「けれども同時に、番組を台無しにするのが怖かった」と語った。
 この実験は、米エール大(Yale University)で1960年代に行われた悪名高い実験をモデルに実施された。その実験では、従順な市民が虐殺に関与する過程の分析に、同様の手法が用いられている。
 この番組参加者の心理を操作するような参加者の取り扱いに対しては、懐疑的な意見も表明されている。集団虐殺や全体主義を研究する心理学者で歴史家のジャック・セメラン(Jacques Semelin)氏は、司会者の指示に従うことを義務づける契約書に参加者たちが署名させられていたことを指摘した。また、従順さだけでなく、観客やカメラなどさまざまな要素が影響していると述べた。
 一方、番組制作者のねらいは、テレビによる人心操作の威力を指摘することだったという。ニック氏は、「テレビが権力を乱用することを選んでしまったら、テレビは誰に対してもなんだってすることができる。絶対的に恐ろしい権力なんだ」と語った。(c)AFP/Roland Lloyd Parry
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 これは実験ですが・・・
現実の社会でも、インターネットが普及する以前に比べて、それ以前なら、見ることも無かったような類のエゲツナイ情報が、ごく普通に手に入り、目にする機会が飛躍的に増えました。
また、ごく普通の一般人でも、匿名で情報発信ができるようになりました。
そして、溢れるエゲツナイ情報をめぐる匿名のエゲツナイやりとり(コミュニケーション)・・・ある意味、社会全体が、上記のフランスのTV番組の実験のような状態とも言えるのではないかと思いますね。
 インターネットを使った壮大な規模での人体実験とも思えます。
行き着く先は、一体どんな実験結果なのでしょう・・・

 インターネットのなかった時代も知る世代としては、もう十分に実験結果も出ているように思えますがね。
今後ますますインターネットのある世界しか知らない世代が増えるにつれ、人間性の低下、衝動性・暴力性の増大といった傾向が進んでいくとしか思えません。
困った時代になりましたね。


※こんな人間が増えた理由も、エゲツナイ情報の洪水で、知らず知らず人間の暴力性が解放され、亢進してきているのも一因でしょうね。
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<駅員への暴力過去最多 869件、不況も影響?>   2010.7.7 産経ニュース
 大手私鉄やJRの駅、車内で、平成21年度に起きた駅員や乗務員への暴力行為は869件で、過去最多となったことが7日、日本民営鉄道協会のまとめで分かった。20年度の752件から大幅に増加。調査対象の鉄道会社は、統計を取り始めた16年度の21社から21年度は25社に増えたが、同協会は「不況によるストレスも影響しているのではないか」と話している。
 869件のうち、加害者が酒を飲んでいたケースが499件と6割近くに上り、午後5時以降の発生が584件。曜日別では、月曜が89件で最も少なく、曜日を重ねるごとに増え、日曜が147件と最も多かった。月別では、飲酒の機会が多い12月が90件と最多。
 場所別は改札393件、ホーム257件、車内105件と続いた。改札で暴れている乗客に声を掛けたところ投げ飛ばされたケースもあった。
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日本の交通事故の実情を正しく知ろう!③・・・3ナンバー車規制撤廃が危険な愚策だったワケ!

ぼへー 今回がこのシリーズの最終回なので、「3ナンバー規制撤廃」という戦後の道路交通政策“最大の改正(改悪)”が、日本の交通事故状況に与えた影響を、もう少し詳細に見ておきましょう。

★「3ナンバー規制撤廃」前後10年の自動車保有の推移
 「3ナンバー規制撤廃」という戦後の道路交通政策“最大”の改正(改悪)により、その前後10年間の自動車の保有状況は、“劇的に”変化しました。
   


※3ナンバー規制撤廃以後、普通車(3ナンバー)が激増、構成比もたった10年で25%にまで…!
 (その後も増え続け、現在では30%近いですが…)
   
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★「3ナンバー規制撤廃」前後10年の交通事故発生数の推移
 「3ナンバー規制撤廃」という戦後の道路交通政策“最大”の改正(改悪)により、交通事故の発生状況も大きく変りました。
   


jiko10nen.gif
    
ぼへーグラフにすれば、一目瞭然です!
3ナンバー規制撤廃前の10年間(1981年~1990年)では、乗用車保有台数と交通事故の発生数の増加率は、ほぼ一致していました。
「自動車の台数が、増えた分だけ、交通事故も増加した。」ということで・・・(本来自動車台数の増加率より交通事故の増加率の方が下回りたいところですが、)まあ致し方ないでしょう。
 しかしながら、「3ナンバー規制撤廃」という戦後の道路交通政策“最大”の改正(改悪)後の10年間(1990年~1999年)では様変わりし、乗用車保有台数の増加率と交通事故の発生数の増加率は、年々大きく乖離していきます。
つまり、「自動車の台数が増加する以上に、交通事故の発生数が増加している。」ということで、危険で異常な状態です。
(その主因は、「3ナンバー車の比率がドンドン増加したこと」にあることは、それ以外に、これほどの交通事故件数の増加を促すような大きな道路交通施策の変更がなかったことをを考え合わせれば自明の理でしょう。)

 このシリーズで説明してきたように、非常に貧弱な日本の道路インフラ整備状況で、3ナンバー規制を撤廃すれば、こうなることは当然の帰結でした。
なにせ、先進国とは思えないほど、異常に幅員が狭く、“人車分離”もままならない日本の道路に、(非常に恵まれた道路インフラを前提とした)北米仕様の3ナンバー乗用車を増加させ続けたワケですから。
 いくら日米貿易摩擦解消・スーパー301条回避という政治課題があったとはいえ・・・見事に「国民の安全」とトレードオフでしたね。

 しかしながら、今振り返れば、「1989年というバブル絶頂期」にあり、まだまだ政治や行政は、硬直的・前例主義・事勿れ主義で、大きな変革など難しかった時代に、よくぞこれほど国民の生命・安全に(負の)影響がある政策を断行できたものです。
まあ、「大きな車の税金が安くなる…」「わーいシーマが買える…」…なんて喜んでいた国民も悪いんですが・・・
 このような悪政の負の影響の可能性を報道すべきマスコミが、最大の広告スポンサーである「自動車業界」の利益のために、全くこの政策についての負の側面を報道せず、国交省・警察側からのバラ色のプロパガンダを代弁し続けた責任は、非常に大きいと思いますね。
 マスコミがスポンサーを恐れず、報道機関としての立場を貫き、「3ナンバー規制撤廃」により、事故が増え、国民の生命・安全に悪影響が出る可能性に焦点を当て、報道を繰り広げていれば、国民の認識も変り、政策も多少なりとも緩和措置がとられたでしょうから…。

(コラム)部分最適と全体最適
 「3ナンバー規制の撤廃」について考えるとき、「部分最適は必ずしも全体最適でない。」ということが頭によぎりますね。
「同じコストなら、見栄えの良い大き方・・・」
「幅100mmの違いなんて影響ないからデカイ車・・・」
「デカイ車の方が衝突時に安全・・・」
といって3ナンバー車を買うことは、個人の車選びとしては、当然な面があり、そのレベルでは、部分最適かもしれません。
しかし、その個人としての選択が、社会全体としてみれば、5ナンバー枠一杯の車ですら、日本の道路インフラのレベルを考えれば、明らかにキャパオーバーであった所へ、車幅制限なしの巨大な北米仕様車の比率をドンドン増やしたわけですから・・・
交通事故件数・負傷者数は、自動車の増加率をはるかに超えて増加するという、明らかに、全体最適では無い状態となりました。

 結局、個人の消費行動など独善的なものですから、なかなか社会の全体最適に合わせた消費行動など取れません。
そこで、法律なり税制など、制度的に全体最適な状態に誘導することが必要です。
まさに「3ナンバー規制」が、そのようなものでした。
逆に言えば、「3ナンバー規制撤廃」とは、全体最適を保つ為の「安全弁」をぶち壊して取り去った愚策であったと結論付けられますね。

(シリーズ 完)


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山一證券を経て、現在エンタメ系企業の役員を務めるかたわらコンサルとして活動中の筆者のブログジャーナル。公金を毀損する輩・高齢者・弱い者を騙す輩を糾弾だ!
※保有資格
宅建/社労士/証券外務員1種/1級FP…

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