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日本の教育がダメになった本当の理由!

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ぼへー 新年度も近づき、お子様を持つ親御さんなら子供の教育について、改めて考える機会の多い時期です。
当面の自分の子供の教育について間違いない選択をするためにも、日本の教育の現状を正しく認識することが必要です。
 学力低下、いじめ、ロリコン教師、モンスターペアレンツ…etc、教育をめぐる問題は、とどまる所を知りません。
そして、何か問題が起こるたびに評論家だのコメンテーターだのが出てきて、「あーでもないこーでもない…」と問題点を指摘します。
この手の議論は、対症療法的で木を見て森を見ていない議論に終始し、為にする議論になりがちです。
 実際日本の教育がだめになった本当の理由・根源は、一つなのですから。

 よく「昔は、先生に威厳があり、親や地域社会も尊敬し、教師を支えコミュニティとしての教育力が…」といった事が言われます。
そして、「だから、これからもう一度そのような環境を築けば、教育がよくなる…」なんて結論をだして、教育シンポジウムが終わったりします。
…しかしながら、なぜ「昔は、先生が威厳があり尊敬されたのか」という本質を語りません。
そこが重要であるのに・・・。

 また、「戦後民主主義や日教組が教育をダメにした…」的論調も多く見られます。
これも個別的な要因としては、存在していますし、正しい一面もありますが、本質ではありません。
なぜなら、戦後民主主義で良くなった分野は非常に多いですし、労組があっても民間セクターは、明治・戦前に比べずっと良くなっていますから…。
戦後民主主義や労組が本質であるなら、「教育」だけでなく、日本社会全体がおしなべて明治・戦前より悪くなっていなければ辻褄が合いません。
また、日教組が無くなるだけで、日本の教育が良くなるとは思えません。
(つまり本質ではありません。無くならないよりは良いかもしれませんがね。)

※教育がダメになった本質とは!
 明治~1950年代位までは、まだまだ日本は後進国で基本的に貧しく、産業も1次産業中心でした。
また、国民の中で、高等教育を受ける者はごくごく限られていました。
小学校に通うことすらままならない時代でした。
また、高等教育を受けた者が就く職業も、大雑把に言えば「官吏」・「教師」・「軍人」がかなりの部分を占めるという状況だったのです。
 そして、そのような時代には、貧しいが優秀な子弟が、高等教育を受ける現実的な手段は、「卒業後教職に就くことを前提に授業料がかからないのみならず生活も保障された師範学校」が唯一ともいえる選択肢でした。
 つまり、昔の教師は、社会全体の中で、相対的に非常に優秀な知識エリートが就く職業であったのです。(かいつまんで分かりやすく言えば、現在なら国立大出身の医師・弁護士といった感じでしょう。)
 だから、昔の“村の小学校の先生”は、「その村で数少ない高等教育を受けた人間の一人」」という時代であったわけです。
そのような状況であれば、当然、人々も先生に一目置きますし、尊敬も信頼もされます。

 それが、1960年代以降、日本は高度成長し豊かになり、産業構造も高度化・多様化しました。
義務教育はおろか、大学進学率も飛躍的に向上し、高等教育を受けることも、もう当たり前なことになりました。

そして、このことは、国家・国民全体にとっては非常に良いことでしたが…、皮肉なことに「教育」だけにとっては悪い結果をもたらしました。

 それは何故でしょうか?
日本が豊かになったことで、「教師」より待遇・創造性・自己実現…etc、様々な面で遥かに魅力的な職業が増えたために、知的水準が高い人間が「教師」という職業に就くことが無くなってしまいました。
その上、戦後の教育制度の変更で、貧しい家庭ながら非常に優秀な子弟が教師になることを誘導する役割を担っていた「師範学校」もなくなり、戦後、教師になる人間の絶対的な質は、時代が経つほどに如実に落ちていきました。
 
 戦前は、貧しい為に高等教育を受けられない非常に優秀な若者の受け皿であった「師範学校」により非常に知的水準の高い教師が供給されていましたが…。
現在では、教員になる人間は、大学のレベルなどで考えても、せいぜい二流の資質の人間になってしまいました。
戦前とは一変し、少なくともトップレベルの知性は教師に集まっていないことは、現実です。

 そのうえ国民全体の高等教育進学率も大幅に向上しましたので、正直言って、「町の小学校の先生」というのは、現在では、知的レベルからいっても、せいぜい児童の親の平均よりは「少し上」といった所でしょう。
このような状況では無条件に「昔のように信頼・尊敬を…」と言う方が無理な訳です。
どんなに何を言っても、やはり「基本は人(財)」ですから、猛烈に質が落ちた教師しかいない状況で「日本の教育の復活…」と言ったところで空念仏に過ぎません。


(結論)
 分かりましたか、戦後日本の教育がダメになった本当の原因は、教師の質の劇的な低下なのです。
それ以外は、枝葉末節の個別要因にすぎません。
何をするにも結局は「人」が基本ですから、こんなに「人」のレベルが劇的に低下しては、教育も良くなるはずがありません。(逆に良くなっていたら奇跡です。)
 
 教師の人材の急激なレベルダウンが日本の教育がダメになった原因であることを皆さんにもっと分かりやすく言えば…
戦後も人材レベルが急激には落ちなかった高級官僚・弁護士・医師等と比較することで、誰の目にも明らかです。
教師の質が急落した「教育」の評価は、著しく低下した反面、戦後も人材のレベルがそれほど変化しなかった高級官僚や弁護士や医師といった仕事の評価は、急落することはありませんでした。
これが分かりやすい逆証明です。
 教師同様、“大学教授”なんていうのも質の低下が著しい職種の例で昔は「末は博士か大臣か。」などといわれたものですが、“大臣”はともかく“大学教授”など今では一流国立大学でもない限り、低レベルなのがゾロゾロ大量にいますから・・・。

 すなわち、日本の教育を良くする答えは簡単ですが、実現は(今のヘタレ政治屋では)難しい(ほぼ不可能な)のです。
日本の教育を良くするには、「教師の知的水準を劇的に改善すること。」、昔のように地域社会の中で抜きん出た知識エリートが教師になるような施策を打てば良いのです。
 ですが、原因は明らかなのですが、裏を返せば「戻らざる河」ともいえ、その実現はかなり難しいでしょう。
 結局の所、現在子供を持つ親御さんが取り得る現実的な方策は、小中高校については、資質の高い教師のいる私学等を注意深く選択するしかないのでしょうね。

 しかしながら、こう考えてみると、明治時代の国策が如何に正しかったことか…!
皆様もあらためてお分かりになるでしょう。
・ 「今後の国家発展のカギは、人が第一」と考え…
→ 人材を教育する質の高い教師を確保する為に、師範学校を整備し、学費・生活費を保証することにより、極めて優秀なのに貧しい為に進学できない有為の人材を「教師」として供給する。

 まだまだ貧しい後進国であった日本にとって、このような教育政策は、非常に重い資金負担であったに違いありません。
それでも国家の未来の為に遂行した明治政府の偉大さに敬服しますね。
 翻って、現在国家の未来も考えず、下らないハコモノ・公共工事で税金をドブに捨てる現在の政府のアホさには、嫌気が差してきますね!

*コラム:「私立」じゃ無きゃダメなの?
 現実的な結論は、私立に行くしかないと書きましたが、それは小中高校では、私立しか選択肢が無いからであります。
ただ、最近では公立でも一貫校などができていますので、よく吟味すれば、私立でなくてもよろしいでしょう。
 あくまでも、良い教育には資質の高い教師が必要であることが本質であって、経営形態の問題ではありません。
たとえば、大学では圧倒的に質の高い教授陣を持つ東大・京大などのほうが私学より良いという結論になるように…。

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山一證券を経て、現在エンタメ系企業の役員を務めるかたわらコンサルとして活動中の筆者のブログジャーナル。公金を毀損する輩・高齢者・弱い者を騙す輩を糾弾だ!
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