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【親必読】 10代で処女を失うと “アレ” が顕著に高まる / 米・アイオワ大学が発表・・・やはり先人の教えは正しいワケで!

<【親必読】 10代で処女を失うと “アレ” が顕著に高まる / 米・アイオワ大学が発表>  2011年06月17日 livedoorニュース 
10代で処女を失った女性は、顕著に離婚率が高くなるそうです。これは、米国・アイオワ大学の発表で明らかになりました。 
この大学の調査結果(※3793人の成人女性を対象に調査)によれば、10代の時に処女を失った女性の31%は、結婚5年以内に離婚し、さらに47%の女性が10年以内に離婚したとのこと。
これは、性経験をしなかった女性に比べて約2倍も高かったそうです。
さらに、16歳以前に処女を失ってしまうと、離婚率は極端に高まるとのことでした。
一方で、18歳以前に処女を失った女性の42%は、「セックスは自分の意志ではなかった」と話をしており、早期に体験してしまうことが、その後の人生の中でトラウマとなっていることもわかりました。
この研究をしたAnthony Paikさんは、「早期のセックスが今後の人間関係(夫婦関係)に否定的な影響を及ぼす。」と説明しています。
果たして、このような結果は、今後、10代の子供たちの性を守る教育材料の1つになるのでしょうか。また、男性の場合はどうなのかも気になるところです…。
参照:huffingtonpost.com(http://p.tl/QhYX),flickr(SCA Svenska Cellulosa Aktiebolaget)
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ぼへー このような調査結果を見ると、漠然と「そんなことであろうな」と思っていることが現実に「その通りの結果」になっていることが認識できますね。
 性に関しては、開放的であるほうが進歩的・民主的といったイメージで捉えられ、「純潔」・「性を抑制すべき」などと述べようものなら・・・
「性の喜びは、早く体験した方が・・・、人間性の解放が・・・」
「封建主義者・・・、ナ~ンセンス・・・」
「性教育が・・・、避妊さえしっかりすれば害どころか・・・」
「女性差別が・・・」
~と非難されてしまいがちです。

 そこで、最近の親たちは、なんとなく割り切れないながらも・・・
「愛し合うことは素晴らしい・・・」
「避妊はしっかり・・・」
~などと、致し方なく、世間の風潮に合わせて、性の解放に、つい理解を示したりしてしまいがちです。

 しかし、それは本当に正しい対応でしょうか?
従来、大半の宗教で姦淫を罪とし、純潔を尊んできたことは、本当に、ただ古臭い教条・旧時代の因習なのでしょうか?
浅薄な性解放運動家などが言うように、人間性の否定や封建主義ということなのでしょうか?
・・・そんなことはないでしょう。

 上記の記事でも分かるように、チャンとした人格形成もできていない段階で、性体験だけが先行したところで、素晴らしい人間性など得られません。
逆に、人間形成に歪みをきたし、不幸な人生になる確率が高まります。
 そして、性道徳が乱れることにより、
「性病・性感染症などが蔓延する。」
「人間としての教養・徳性を身につける前に性交渉をしてしまうことにより、人間としてのバランスとれた成長が実現されない。」
「離婚、夫婦不和など社会の基礎的構成要素である“家族”が機能不良になる。」
~といった社会全体としての重大な損失を避けるために、先人たちの知恵として、性の乱れを宗教で律してきたのです。
単なる封建的な因習というわけでは、無いでしょう。

 一見進歩的なイメージがある性解放論ですが、その浅薄な思想通りに、性に奔放な社会を実現したらどうなるでしょうか?
人間性にあふれた、素晴らしい世界が実現できるのでしょうか?
残念ながら、そんなことには、なりません。
 性病・性感染症が蔓延し、放蕩で退廃的な社会となり、人間関係(夫婦関係)もおかしくなり、マトモな社会として機能しなくなることは必定です。
現在では、エイズに苦しみ亡国の危機にあるアフリカ南部などが残念ながら良い例かもしれません。
いずれにせよ、人間の長い歴史の中で、性の乱れた社会の時代も経て、為政者は、性の乱れを何とかしないとマトモな社会が実現できない事態に直面したため、「宗教」という装置を使うことにより、性道徳を律するようにしてきたのでしょう。

<宗教の要諦は、道徳実現装置!>
 ここでいう「宗教」とは、その辺のイカガワシイ新興宗教のことではありません。
キリスト教・仏教・回教・儒教などのような、人類の歴史と共に、長い年月にわたり連綿と続いてきた由緒正しい「宗教」のことと定義します。
宗教の信者の方は怒るかも知れませんが・・・
このような由緒正しい「宗教」の本質とは、より良い社会を実現するために必要な「道徳を実現するための手段」と言っても過言ではないでしょう。
俯瞰して見れば、各宗教が求める人間像・道徳感・倫理感は、ほとんど異なることはないと言えるでしょう。
各宗教が、求める道徳的な人間となることは、より良い社会を築く上で重要です。
しかし、人間は弱いものですから、なかなか自律的に道徳を実践することができません。
そこで、大半の宗教では、「神」という絶対的な存在を設け、戒律を定めることで、その道徳(戒律)の実現を目指します。
そして、最終的に、より良い社会の実現を図ろうとしていると考えるのが妥当でしょう。
為政者の立場からみれば、「宗教の存在」を許容する代わりに、「宗教」による道徳の実現を利用し、より良い社会の実現を図ることが出来ることを求めてきました。
つまり、(為政者にとって)「宗教」の要諦は、「道徳の実現」であったと言えるでしょう。

 「宗教」といものの本質が「道徳実現装置」であることは、「宗教」が、いろいろな文化・地域に応じて、多数存在していることで証明されています。
もし、本当に唯一絶対の神が存在するのだとすれば、そもそも宗教がこんなに存在するわけないのですから・・・
例えば、もしアラーの神が唯一絶対の神で、本当に存在しているのであれば、世界中がアラーの一神教で統一されていて然るべきですから。
いかなる地域・文化であっても、同じ人間である以上、より良い社会を実現するために必要な道徳律には、それほど変わりは有りません。
しかしながら、「神」自体は、人間の想像力の産物なので、民族・文化により様々です。
これは、人間社会に必要な道徳律を実現させるための装置として、それぞれの民族・文化によって、適した「神」を創りあげてきた歴史の結果に他ならないということです。




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山一證券を経て、現在エンタメ系企業の役員を務めるかたわらコンサルとして活動中の筆者のブログジャーナル。公金を毀損する輩・高齢者・弱い者を騙す輩を糾弾だ!
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